植物のような生き方
に、最近憧れている。というよりもわたしの理想の生き方はそれに近いのではないかと最近思いつつある。
まず前提として、わたしの理想の在り方は「奪わず奪われない、支配せず支配されない共生」なのに変わりはない。だからこそヴィーガニズムに共感して実践しているし、大地や植物や微生物などのバーレルセルの在り方を支配しない自然農や天然麹に共感してそれらの食品を摂るようにしているし、破壊された大地を再生させ共生の空間をバーレルセルたちの営みに委ねて人間はそっと力添えするだけのリジェネラティブなコーヒー豆栽培、そして水負担が少ないナチュラル精製を支持している。
これらを支えているのは全て植物であり、大地であり、微生物たちバーレルセルであり、ひいては地球で、人間はそっと力添えするだけで、その一員として、出しゃばらず放置もしない、という形で関わっている。人間だけが地球の主役ではないという在り方だからわたしはこれらに囲まれた生活を今は送っている。
ここでわたしは、こう在りたいから、こういうのに共鳴するからこれらにコミットする、という関わり方なのだけど、これらの一員たる植物は、別にこうありたいからある訳では無い、と思う。ただそうあるだけ。わたしは意識してやっと奪わない支配しないを意識しない時よりは果たす努力ができるのに対し、植物は当たり前のように虫やバーレルセルの居場所となり、大地から窒素などを、空からは水を受けて育ち、太陽光を受けて熱や大気を循環させ、枯れたあとは炭素となり大地へ戻り土壌動物などによりまた分解されて次の命を繋いでいく。その在り方の様々な箇所に命を繋ぐ営みがあり、それらを何も意識できずに出来て共生の空間作りにコミットしている。死してなお。奪わず奪われない、共生の在り方のお手本のような存在だと思えている。
人間であるわたしが、そんな風に生きるには人間なりにこの地球自然の一員としてコミットするには、植物そのものにはなれないけどバーレルセルの居場所を作る、保全する、再生させるための手助けをする方法を考えていきたい。
そんな植物の循環の中の機能だけではなく、在り方そのものもわたしは憧れている。
古来から地球は隕石の衝突や火山の噴火や大津波や地殻変動などの天変地異に見舞われてその度にたくさんの生命が死滅した。
だけどそんな中でも植物はまた芽吹いて根を張り、大地を緑で潤してきた。
そして今も人間が人間同士で争ったり地球や自然を我がものとして支配できると思い上がった開発やら侵略やらを繰り返したり、自然を敵とみなし対立する動きを見せたりと勇ましい姿勢を見せてはいるけど、植物はそんな人間の営みなど何処吹く風でただその地に根を張ってバーレルセルを慈しみ潤している。要するにどれだけ挑発しても害そうとしてもそんなことを何一つ気にかけることもなく、さりとて従うでもなく只々存在している。支配されないし別に支配もしない在り方そのものじゃあないかな、と思えている。
だからわたしも、今のそんな時の権力者たちの暴力や金や権威による支配や抑圧に対して、積極的に抗することは出来ずともそれらを何処吹く風で自らの理想の在り方に向かって自然との共生に邁進できたらな、そんなことを思ったりするのです。
