週末の街巡り
yuchou
悠蝶生活
6月になって、暑さが肌を焼く日も増えてきたように思える。そして5月に再開したはずの新聞購読は結局わたしには合わなかったからやめた。また特に情報を仕入れない日々に戻った。
だけどそれでいいのかもしれないと、1ヶ月情報に触れて改めてそう考えるようになった。
新聞が伝えた情報を以ってしてわたしが自発的に何をできるかと実践できたことがあるかと言えば特に変化はなかった。ヴィーガニズムは別に新聞には伝えられてないし伝えられるまでもなくやるつもりだし、自然農もリジェネラティブなコーヒーもアニミズムも新聞からではなく、書店での運命的な出会いがもたらしたものだから。それはわたしが書店に赴くという行動の結果もたらされた出会いであり知見だった。結局のところ、わたしを動かす情報は、わたしが動くことでしか手に入らないのではないかと思えたし、大切な情報は大切な人や存在が伝えてくれるのではないかなと思うようになったら、気が楽になった。
わたしのことを知らない伝達者が伝える情報は時にわたしを傷つけるけど、大切な人やただ存在し続ける大自然はそんなことは無いし、仮にあっても向き合える。ならばそれらを慈しみ、それらのために何ができるか考え動き、そしてその過程で情報はじめ何かしらを得られたら、それは幸運でありそれが必要とすればいいのではないかな。目の前の存在を慈しむことそれ自体が、わたしの存在証明にも、不条理への抵抗にもなると、そんなことを思った。
だからそんなわたしを知らない何かの恣意に振り回されて心乱すよりは、いつも静かに笑っていて、近くの存在をいつくしもう、まずはそこから始めよう、そんなことを思った迄です。