こういうコーヒーの本との出会いを待っていた
そんな一冊と出会えた。そしてそれを一度読み終えた。
青土社から刊行された(敬称略)ペトリ・レッパネン、ラリ・サロマー著、セルボ貴子訳「世界からコーヒーがなくなる前に(原題:Coffee Revolution)」のこと。
これも前の記事で挙げたセルフビルドや農業の本を揃える傍らたまたま書店で出会った運命的な出会いの1冊。コーヒー本と言えば書店に並ぶのは美味しいコーヒーのいれ方だっり各地の豆の特色などのうんちくの話だったりがほとんどで、2050問題(2050年辺にコーヒーが飲めなくなるとされる気候変動にまつわる問題)などのコーヒーにおける自然との調和の観点に切り込んだ著書は中々見当たらなかった。そういう視点を現場に携わる人の見地から前面的に押し出した一冊がこの著書だった。
ブラジルのFazenda Ambiental Fortareza農園のマルコス氏、シウヴィア氏、フェリペ氏の農園主家族がメインの語り手として作者が三者の話を聞く形で展開されていく構成。
本書では、主にコーヒー大企業の大量生産大量販売のシステムが、世界中のコーヒー栽培における生産者と生産地から搾取し続けていると批判的視点でそれらの構造についての話がなされ、その搾取が続いた結果大地が痩せ衰え、気候変動の加速要因の一端を担っていると論じられている。大地は生きており、コーヒーもまた生きている、だからこそ自然の摂理に沿ったコーヒー栽培を、長い目で見て進めていく必要がある、と言ったスペシャルティコーヒーの目指す方向性を三者三葉の視点から述べられていた。そして持続可能、サステナブルという視点だけではもうコーヒーを取り巻く2050問題は止まらない。そこから1歩踏み入った再生の視点が必要と論じられている。自然は共生して循環を形成する。だから単一栽培で失われた共生の世界、すなわち生物多様性を取り戻すことが大地の再生に繋がるとも論じられていた。
化学肥料で無理やり太らせた大地でコーヒー以外の動植物を排した広大な農園で大量の豆を収穫させ、それらを薄利多売なやり方で世界中に消耗品として売りさばいた結果は、買い付ける大企業がその利益の大半をせしめ、生産者は家族を養う満足な糧すら得られない、生産地は無理な生産体制で大地が痩せこけて最終的には何も作れなくなる死の大地に近づく。それが今のコーヒー市場における大量生産大量販売の構図であり、問題であると述べられている。今わたしたちを取り巻く色々な場所で手軽に安価にコーヒーが飲める、それを支えているものの実態はそういう生産者や生産地に負担を押し付ける形で成り立っていると容赦なく突きつけてくる。
この体制を国策レベルで推し進めてきたブラジルの豆は、どうやらかつては安かろう悪かろうの代名詞だったらしい。それでも質が重要視されず、そもそもの用途が安い客寄せ用品だったかつてのコーヒー需要で大きな立ち位置に居られたんだとか。
生産者にまともなものが入らないのはお金だけでなく、豆もだったようで、生産者は自分の作った豆がどんなふうに焙煎され、どんなコーヒーになっているかすら知らなくて、生産者の元に戻る豆は売りに適さないレベルの質の低い豆しかなく、その結果ろくな味のコーヒーが味わえない、という構図にもなっていたと。そんな最も負担を押し付けられている生産者や生産地のことを考えると、今スペシャルティコーヒーを始めとした様々なハイクオリティを担保する付加価値があるが、その中でも特に大事なのはトレーサビリティではないか、と投げかけられる。力強く頷く飲みだ。生産経路の把握は消費者の安全だけでなく、生産者にその労苦に見合った対価が還元されているかを知ることで、生産者を守るためでもあると。
その一方で、認証を過度に信用する危険性も見逃さない。認証を得るために奴隷的労働に従事させられる農園もあるらしいし、認証はコーヒーのサステナビリティを網羅している訳ではなく、それぞれ局所的なものに過ぎないし、種目にも維持にも普通にお金がかかるからそもそも資力が厳しい農園は申請すらできない。だからあくまで目安でしかなく、最終的に判断するには、その生産から販売までのトレーサビリティを把握してそれらの業者事に見ていかないと。ということらしい。自分の目で見ると言っても限界があるし、そういう点でもトレーサビリティが担保されているのは助かる。
エシカル消費が叫ばれて久しいけど、それが単なる消費競争に絡め取られないようにするためのヒントが込められた一冊でもあると思う。コーヒーに限らず、今オーガニックとかサステナブルとかを考える人なら手に取ってみたらきっと実りある読書体験を得られると思う。
わたしは、一時期引越し絡みで有耶無耶になっていた自宅での焙煎豆販売を本格的に再開する熱を与えてくれたこの1冊をきっとコーヒー関連で迷いが出る度読み返そうと思う、そんな1冊になった。この本でも出てきた再生の視点、リジェネラブルを胸に。
