最近読んだ本とか
今月は、一年で最も仕事が多い2つの時期のうちの一つであることもあり、なかなか時間が取れていない。その中でも、毎日の通勤時間で本を読む時間は以前よりもとれるようになった気がする。やはり始発通勤が自分のライフスタイルにはあっていたみたい。元々朝型だから朝起きるのも動くのも苦ではないし、そして気候変動の影響もあり気温は上がる一方、まだ日が昇らないうちに出てしまいさえすれば暑さにやられるリスクも大幅に軽減できる。そして始発だからまだ通勤・通学の乗客も少ない。つまりは電車で座れて、読書の機会を確保できる。そんな好循環が功をなし、読書に取れる時間が以前より増えている。
日記、みたいな感じになるけど、ここ最近読んだ本について簡単な感想をまとめておきたい。
「地平」9月号
最近、といっても5月くらいから購読を開始した地平社から刊行されている月刊誌。新聞もテレビもネットニュースも見ない自分にとって社会情勢を知ることのできる二つのうちの一つ(残りは友達など直に話す人からのまた聞きくらい)。
コロンビアのフラッキングについて、シェールガスの採取で水が大量に汚染される話は、ウォッシュト精製の問題点ともつながってるなーと何となく感じた。奇しくもコロンビアは世界屈指のウォッシュト豆生産大国だし。太陽光はパネル設置したら従事者いらなくなるから恩恵受ける特権階級の労働者から強い反発…うーん戦争終わったらお役御免の兵士に近い理屈。それらをぬくぬくと享受する側も考えていかないと、な話のように思えた。
賠償金を元手にアジアに侵出して根を張る日本企業というグロい実態はやはり韓国や台湾に限った話ではない。金が恩恵なんて話はそのしわ寄せ食らう存在のことを考えたら口が裂けても言えないね、わたしは。
公安、トランプ、高市、労連。この辺、もう金と権威と支配に取りつかれているようにさえ思える。
民主主義が階層化で危機に陥っている話、これは話がかみ合わなく感じる場面ですごく感じる。だからこそ、色々なコミュニティでの対話も必要だし自分をしっかり芯を持ったうえで在らないと、なのかなあ。
特定の思想だの政治的だのそれを恣意的に決めつけられるという思い上がりはそれ自体特権だと思ったし、どちらかというと政治的でないと漂白することも特権かもしれない。それらを操判ずることが誰にとって、何にとって最も都合がいいのかという視点を持つことも大事なんじゃないかなと思った。
「あなたのことが知りたくて」
日本・韓国それぞれの小説家たちによるアンソロジー短編集。河出文庫の一冊で、たまたま書店で見かけて「82年、キム・ジヨン」のチョ・ナムジュやノーベル文学賞受賞者のハン・ガン、「持続可能な魂の利用」の松田青子といった読んだことのある、聞いたことのある人たちが名を連ねていたので読んでみることに。
チョ・ナムジュ「離婚の妖精」。助成の連帯と家父長制からの決別がさわやかに描かれていた。しかし何かあったときまず女のせいにする男仕草は相変わらずだねえ。
松田青子「桑原さんの赤色」。赤いアイシャドウを付けたくなる。男社会における「女性」の扱いにあきらめと憤怒を持つ人と何も知らない人。その中であり続ける女性社員の姿に喝采を。
デュナ「追憶虫」。記憶は記憶でしかなく、その過程で積上げる愛などの情念にエンパワーされるお話。喫茶店の庭に植えられている風に揺られる苗木みたいな柔らかいお話だった。
西加奈子「韓国人の女の子」。傷も暴力も特に前に出てくる。登場人物がしんどくなったのは、「男」の加害性を改めて目にしてしまったからなのかどうか。間違いながらも向き合いながらも生きていくしかないの、もどかしくてしんどい。
ハン・ガン「京都・ファサード」痛みとすれ違いと戻らない時と明滅するような寂しさを持ったお話。心を開くって何なんだろう。人の悲しみを知り、祈るって何だろうとか、ささくれみたいに残る。それでもただ流れ続ける川のような、そんなお話。
深緑野分「ゲンちゃんのこと」。理不尽と抗いとまっすぐさを、ろくでもない差別構造も男社会もなくならないけど信じていきたいな、と思えるお話だった。だけどやっぱきつい。
イ・ラン「あなたの能力を見せてください」。自己を見つめ直しつつも周りが私を表象するモノっていったい何なんだろう。そんなことを自分にも問いかけられているようなお話だった。
小山田浩子「卵男」。叙事詩みたいな人の営みと自己との対比が際立つ一作。気に留めるものと明石港とか、色々異なるものが交差することもなく淡々と在るそんなお話だった。
パク・ミンギュ「デウス・エクス・マキナ」。トランプやネタニヤフみたいな侵略者って被征服対象の土地の人からは、いや、そもそもとして牛や鶏や豚や魚とかからの人間はああ見えてるのかもしれない。その中でも淡々と日々を営んでいく描写には一つの希望も感じた。
高山羽根子「名前を忘れた人のこと Unknown Man」。異なるルーツの存在にだけわかる奥底からの発露とか、共感しがたくてもそれをなかったことにはすべきではなくて、その残酷さと日常のアンバランスさに生命を感じた。知ることと向き合うことはこれからも大事にしたい。
パク・ソルメ「水泳する人」。これもまた淡々と流れる日常と架空の制度のアンバランスさと、異なる見方たちが折り重なるコントラストが吸い寄せられるような魅力を出していた。韓国SFってさわやかな読後感と奇妙なささくれを同時に残すのが不思議でそこに引き付けられる。
星野智幸「モミチョアヨ」。男女表象逆転者と思いきやそこにディスコミュニケーションと一体感・連帯感もあって、自他の切り口が多角的でコミカルだった。
なんか甘かったり辛かったり苦かったり酸味マシマシだったりいろいろな韓日現代文学の切り口を楽しめた。寄稿作家の他の作品も読みたいと思えた。
「すべての、白いものたちへ」ハン・ガン
ということでその次に選んだのは同じく河出文庫からのハン・ガンの作品。去ってしまったものへの祈りの話だとは感じていたけど、会うこともなく、早世したオンニのことで、オンニの目線で白いものを包み、そして生きていくことでまた自己へと戻っていく。恢復への祈りといううたい文句だった通り、回帰の話が静謐に、染み入るようにつづられていた。ウソはつけないし、あなたは決して間違っていない。
「あまからカルテット」柚木麻子
次に読んだのはBUTTERロスから未だに立ち直れないでいる柚木麻子の初期の作品。初期だからか、随所に恋愛要素が切っても切れない位置に遭ったりするのは引っかかったけど、連帯に近いホモソノリとは外れた友情関係を見られた。波があって、ぶつかり合うけど壊れることはなく弾力にとんだもので、時を経てより強くなっていく。そんなさわやかな一冊だった。
「コンビニ人間」村田沙耶香
その柚木麻子がBUTTERの英訳版刊行の賞受賞時のスピーチで名前を出していた村田沙耶香の代表作にもようやく手を出せた。普通圧力の強さや、普通・まともとされる人や集団は自分たちが異物と判じた存在相手ならば無遠慮にずけずけと踏み入り自分たちと同質の存在に強制しようとする暴力性が、それらを分からず、でもわからないなりに気にかけてふるまう主人公に襲い掛かるさまがきっつかった。あとおっさんの有害な男らしさとそれに抑圧される鬱憤の晴らし方とか。それに対して本能的につかみ取った主人公の在り方には、そうきたか!と頭の中で思わず叫んでしまう、そんな不思議だけどどう生きるか、について考えをめぐらされる一冊だった。
「丸の内魔法少女ミラクリーナ」村田沙耶香
自分が大好きな作家藤野可織が解説をやっているということで購入。4つの短編はそれも現代社会で「当たり前」とされていることと、それにそぐわない人が対比的に描かれ、その「当たり前」がどういう人の何を傷つけ、抑圧し、苦しめるのか。逆にどういう人の何を救うのかをそれぞれ紐解いていき、それぞれの主人公たちは向き合った末の折り合いを、踏ん切りをつけていく。構成はコンビニ人間のそれに通じていた。普通圧力との対比がコミカルに、だけどその抑圧の構造はぼかさないバランスのうまさは村田沙耶香作品の魅力の一つなんじゃないかと思えた、少なくともわたしは。ただ疑問を持ち、そうじゃないと思うだけではなく、なぜ子供のころ、以前大事に思っていたのだろうと考えること、なぜ今は違和感を覚えるのかを考えること、その上で何を大事にしていくかを問い続けていきたいし、きっとこの作者はそれを今でも真摯に続けていられるから、シリアスなテーマでも軽妙に、そして読みやすく描けるのかもしれないなと思えた。
結
ということで、試験の終わった8月7日あたりから読んでいたものについて簡単に備忘録をまとめてみた。次は何を読もうか、何と出会おうか。そんなことを考えるとわくわくするし、そういう交差をこれからも大事にしていきたい。
