「在る」事を大切にしたい
わたしの理想とする生き方は、奪わず奪われずに生きること。最近はここに「コントロール(支配)せずされず」も加わった。
ここで言うコントロール、というのには人間の都合で自然界の存在の在り方に手を加えることも含む。遺伝子組み換えなんて以ての外だし、自然栽培の話を知ってからは麹菌の純粋培養とかにもちょっと思うところはある。
もちろんそう言った技術があるからこそ人間が様々な食料の安定供給を実現できているというその実利については確かだと思う。とはいえそれを全世界の人間が享受できているかといえばそうではないし、その安定のために自然界に確かに生命として存在するモノ達の在り方を人間の都合で支配しようと言うのは、結局のところ人間(それもひと握りの)の享楽のためその負荷を自分達ではない何かに押し付けているだけではないか、と思わずにいられない。
前述の話で言う、安定のために排除される「不要な」菌や、その安定を享受する存在として想定されていない人達、そういった存在はしばしばいないものとして扱われがち。差別や抑圧を受けるマイノリティや工業畜産の動物たちもそう。でも、そんな風にいくら扱おうが、そのモノ達は確かに存在している。それは決して忘れてはならないことだと少なくともわたしはそう考えたいな。
わたしたちは、自分のやりたいように生きていきたいという自由への渇望がある。その自由、とは不当に他から縛られないこと、抑圧されないこと、踏みにじられないことじゃないかな。わたしたちだけでなく、前述した存在もそんな自由であれたら、本当に理想的じゃないかな。というか、それらの存在含めたあらゆる存在がそうある事が、自由が担保された状態でしょう。なぜなら排除される、いないモノ扱いされる存在というのはその時の支配層しだいでいくらでも変わりうるから。
そんな理想を抱くわたしからしたら、人間の都合で自然界の存在をコントロールする、ということも可能な限りしたくないなって、もちろんされるのも嫌。
そういう時にわたしは、私の体内に存在する無数の微生物について考える。多分科学が解明しているよりも遥かにたくさんの微生物がわたしを構成しているんじゃないかな。それはわたしに限らず、動物や植物、土や大気、水に棲む微生物も科学が解明しているのは氷山の一角じゃないかな。なぜなら科学では説明できない現象はまだ色々あるし。それは科学の範疇を超えた、だけど地球に存在する生命が起こしたもの、わたしたちには見えないけど確かに存在するものによるのじゃないかな。多分そういう存在って、トーベ・ヤンソンがムーミントロール達を総称した「バーレルセル」に限りなく等しい存在なんじゃないかなと最近は思うようになった。
ならば尚更大切にしたいし尊重したい。そしてわたしも科学もまだまだ知らない、解明できていないことは沢山あるからこれからもその前提で、新たな発見や感動を大切にしたい。地球に存在する数え切れないバーレルセルを尊重した在り方を貫きたい、そんなことを胸に刻んで、今日の日記とさせていただく。
